12月29日、22時過ぎという年の瀬、
官公庁もお休みになってるってのに、誕生。
ほんとは1月5日だったんだけど、
母体の安全のため、ケアが手薄になるお正月を避けて出産。

男の子を望んだのに
「えっ、また女の子ーっ?」
小さくがっかりされる。赤ちゃんの時から超ラブリーだった姉とは対照的に、
「く、くびのうえに乗っている。
さいころのような物体はナニ?」
と思われるくらい、
あかんぼきぬよのかおは,
横広の直方体だった。

ぽっっちゃりとし過ぎたほっぺ。
いや、謙遜ではないんです。
自分の写真を見て、「こんな顔ってアリ!?」
って生命の神秘を感じました.。
ある意味、私は“ミラクル”なのかもしれない(笑)
上の写真は4ヶ月。右の写真は10ヶ月。
その下が1歳1ヶ月。
ぽっっっちゃりほっぺのピークは6ヶ月。

ええ、私も嫁入り前の娘ですから、
マジックでほっそり見える写真を選びますわよ。
こんなほっぺ大王が生まれちゃうと思われたら
嫁のもらい手がいなくなるやもしれんものー。
え、それでもほっぺっぺだって?
......じゃかぁしいっ。(逆ギレ)

絹代、という名は、本名です。命名の由来は、
「生まれてきたら、絹のように美しかったから」
というものでは、当然なくて、姓名判断です。
まず、“代”を固定し,13画の漢字の中から選んだだけらしい。

「でも、ほや〜んとしてて、
“絹”っぽかったわよ」
とは母親の談。…なぐさめになってないよ。左が2歳9ヶ月。
下が入園のと七五三の時の写真。
ちょっと、顔らしくなりました。
でも、「ほっぺに栄養貯めてるん?」
って聞きたくなるよな、ほっぺだわ。
このまま成長しないで良かったぁ。

超泣き虫のあまえんぼ。(変わってない?)
小学校、運動神経の無さを、余すことなく発揮。
3年生で初めて「水に浮く」ことに成功。
6年生で初めて、「自転車に乗る」ことに成功。
運動神経のなさは母親譲り。
鉄棒の“逆上がり”は母親が猛特訓し、得意技に。
(手さえ届けば、どんな高さでもできた)
でも、なぜか“前回り”が出来ない、
応用の利かない子だった…。(←これも変わってない...)

セーラー服が着られる学校(某F女子中)を受験しよう
(理由:「スケバン刑事」や
「セーラー服反逆同盟」のセーラー服姿に憧れたから)
と思い立つも、その動機のばかばかしさと、
受験勉強のめんどくささを悟り、入学した市立の中学校。
その選択は正解!
一番、年齢相応に楽しんでた、想い出の詰まった時期。
女の子だったなぁ、当時は。(えっ、今は?)
部活もさっさと辞め、毎日ぶらぶら友達と遊んでた。
セーラー服どころか、どこかの中学校のような制服の高校に入学。
代わりに、ジャージは“いよかん色”だった。

高校1年のときには高校生クイズに出場。
あと1問で、神奈川県代表、の福澤さん司会の早押しまで進んだ!
遊ぶことに命をかける県立高校。

高校2年の終わり。
大学は家政科に進学し、栄養でも勉強しようかと思ってたのに、
なぜか、雲の上の大学だった、東大を目指すという暴挙に。
意地を張り、あまり疑問も抱かずに、ひたすら、ひたすら勉強。
まったく、遊ばなかった。
あんな生活に戻りたくない…。

大学。文科3類に滑り込みセーフ。
周りを見まわし、溢れる教養ぶりに怖気づく。
こんな所にいたら、劣等感で、気が狂う…。
農学部に進めば、実習もあるし、
食べ物絡みでなら、なんとか卒業までたどり着けるかもしれない、
と、転部を決意。

狙い通り、「ペルー」中心に好き勝手にいろいろやって、卒業。
ちなみに、年末にお能の舞台があリ、
卒論のスタートが遅れ、おまけに提出日に突然ワープロが壊れ、
提出の締め切り時間には間に合わず。
「留年だぁ!さて、残り1年何しよう??」とちょっと盛り上がったけど、
温かく、無事に受理され、卒業。
袴は能のサークルで着けなれていたので、卒業式は振袖で出席。そして、JICA(現:国際協力機構)へ入団。
途上国の援助などの仕事をする予定、だった。

ここから、なぜか演技の勉強を始め、
グランドキャニオンの朝陽を見て、改めて人生を考え
いきおいあまって、JICAを退団。
自由に生きる道を選ぶことになる。

人生、何が起こるかわからない...